ぬるで

大学図書館員の日常と非日常。

居場所としての図書館

はじめに

 ぬるで氏は,東畑開人(2019)『居るのはつらいよ : ケアとセラピーについての覚書』(医学書院)を読了した。

 ものすごく大雑把に要約すると,「デイケアの日常を体験し,ケアの本質を理解しようと考察した結果,ただ居ることがケアになると気づいた。でも,ケアの居場所は,アジール(逃げ場,隠れ場)にもアサイラム(監視場)にもなりうるので,注意が必要だよ。」という内容だ*1

居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)
 

 上記の本を読んで,今回も強引に図書館に結び付けてみた。

 

居場所としての図書館

 さて,ぬるで氏は「学習・研究・読書の場としての図書館」よりもむしろ「逃げ場所(アジール)としての図書館」が最も記憶に残っている体験である。

nurude.hatenablog.com

 

 そう,「ただ,いる,だけ*2」が許される図書館がケア(支え)の場として機能していたのだ(n=1だけど……)。 

 

nurude.hatenablog

 

 ということで,救われる人がいる限り,(アサイラムではなくアジールな)居場所(ケア)としての機能が図書館にあることを,忘れないでおきたい。

 

 

おわりに

 図書館を「居場所」としてはアピールするのは,良いことだろうか? 本質(その時点での全知識・情報を収集・整理・提供・保存してあり,公開・利用・創造ができる。)を見失うことにはならないだろうか?

 

参考

kotobank.jp

*1:詳しくはお読みください。学術書なのに大変面白いです。

*2:『居るのはつらいよ』p.316

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